232
四日市の昔と今
最近のPM2.5の映像を見ると小学生の頃を思いだす。
昭和42年から44年、昭和48年52年まで四日市に住んでいた。

ダークなイメージの四日市であるが、自分が住んでいたのが山の方だったこともあり、
テレビでよく見るマスクをつけて登校なんてコトはなかった。
ただ、学校では、空襲警報のような「光化学スモッグ警報」が発令され、全員で学校中の窓を閉めていた。
外に出ることが禁止されてはいなかったので、遊び盛りの自分は休み時間中、ダラダラ涙を流しながら
サッカーをしていた。四日市はサッカーの名門であり、スポーツと言えばサッカーなのだ。
おそらく、PM2.5、SOX、NOXの類いも他の地域に比べれば、多かったろうし、
友達にはぜんそくの子が何人かいた、
しかし、現在の四日市は、大気汚染が問題になった都市とは思えないほど、空気が澄んだ街になっている。
環境庁の新設など、当時の大人たちが子供の世代に禍根を残さないよう、しっかり対応したのだろうと思う。
子供の時のこの経験は、その後の環境問題に対する指針にもなったし、大気汚染という公害の中でも
とりわけ影響の大きい問題は、その根絶に多大な知恵と労力が必要だと感じている。
北京の、あるいはその他の地域の大気汚染根絶に、当時の四日市の知恵と努力を生かしてもらいたい。
国家レベルでも動かない、こんなときこそ環境NPOの出番であるし、大きなビジネスチャンスでもある。
- 関連記事
-
- Date : 2014-02-27 (Thu)
- Category : 街並評論